千葉バイブルバプテスト教会(千葉市中央区)|聖書Q&A|平安を必要とするとき

「平安な生活」

「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」                                ヨハネ14章27節

私たちは、家族や多くの友人に支えられながら生活しています。私には家族がないと言う方も、良く考えると様々な方々の支援の中で生きていることが分かります。しかし、どんなに満ち足りていても、そうでなくても、生きて行く上で悩みはつきものです。生かされている以上、健康の不安や、将来の様々な不安は誰にもあるのです。不安や心配は私たちの生活の活力を奪うものです。それでは、どうしたら平安な気持ちで毎日生活が出来るのでしょうか?聖書には不安や心配に対しての記事が多く扱われています。

ある時イエス様は「空の鳥を見なさい。種まきもせず、刈り入れもせず、倉におさめることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養って下さるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」(マタイ6章26節)と語り神様が覚えて下さっていることを教えます。また、「心配したからと言って自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。」(マタイ6章27節)だから心配は無用です。なぜなら、私たちを生かし、導いておられる全ての支配者である神様が、私たちの全ての必要を知っていて下さるからです。私たちが心配したり不安になったりするのは、現実の生活を見て希望を見出すことが出来なくなるからです。もし、私たちが全知、全能の神様を知っていたなら、この神様の言われるお言葉に信頼する事が出来るはずです。

ある時、弟子のペテロが水の上を歩くことをイエス様に願いました。イエス様はその願いに答えられて、「来なさい。」と言われました。ペテロは水の上を歩いてイエス様のもとに行こうとしました。ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけました。(マタイ14章28節)この記事は、私たちの日常の生活を良く現わしています。様々な困難や試練、乗り越えられないような大きな壁を目の前にした時、誰でも恐れを覚え、不安で一歩も前進できなくなるのが私たちの姿です。この時、ペテロはイエス様に助けを求めました。イエス様は彼の手をつかんで言われたのです。「信仰の薄い人だな、なぜ疑うのか。」と。イエス様の言葉に信頼して歩き出した時には、何の不安もありませんでしたが、風を見て怖くなりイエス様から目を離してしまったのです。

イエス様への信仰を持って生活する時、現実がどのような状況に置かれても、私たちの心は平安で喜びに満ち溢れる生活が送れるのです。誰にでも分け隔てなく与えて下さる信仰を頂いて、神様のお取扱いを受ける者は幸いです。なぜなら、神様の平安を生きることが出来るからです。求める者に主は平安を与えて下さるお方です。
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ヨハネ14章27節

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