千葉バイブルバプテスト教会(千葉市中央区)|2010年8月メッセージ

8月分のメッセージ
「たましいの渇き」

「神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。」   詩篇63篇1節

 この詩篇の背景は、表題によると、ダビデがユダの荒野にいた時とあり、しかもダビデが王と(11節)に記されていますので、息子アブシャロムが謀反を企てた時と考えられます。 

 ダビデは、アブシャロムに命を狙われ、はだしで泣きながら逃げたことが2サムエル記15:30に記されています。息子アブシャロムからユダの荒野に逃れたダビデには、王としての権力も財産も部下さえも何の助けにもなりませんでした。飲む水さえもない中で、気を失うばかりに神様を求めたことが記されています。つまり、何も頼るものがない状況に置かれた時、唯一、神様に助けを祈ることだけがダビデにとっての希望を見出す方法だったのです。

 私たちは生きていくために、様々なものが必要です。生活のために何の心配もなく暮らすためには、蓄えることが一般的な方法です。十分将来に蓄えることが出来るのは安心ですし、うれしいことです。将来に十分蓄えたとしても、神様に対して渇きを覚え求めるならば、それは素晴らしいことです。私たちの生活では、蓄えたことで安心し、物があることで神様に祈り求めない生活はよくあることです。満ち足りた生活では、神様に渇きを求めることは大変難しいようです。私たちの力では解決できない状況に置かれる時、人は神様に狂わんばかりに求めるものです。

 第2列王記4章には、一人の預言者が死に、その妻がエリシャに訴えます。負債の返済のために2人の子どもが貸主の奴隷にされようとしている。と、エリシャは家に何があるかと彼女に尋ねます。彼女は油の壺が一つあるだけと答えます。するとエリシャは、外に出て行って空の器を出来る限り多く借りてきなさい。と命じます。その器に油を注ぎ始めると、なんと借りてきた全ての器が油で一杯になったのです。彼女は、その油を売り負債を返済し、残ったお金で家族が生活していくことが出来たのです。

 蓄える事よりも、神様の御前に空の器を用意することが私たちのなすべき事なのです。ダビデが告白しているように、たましいの渇きが無ければ神様に気を失うばかり求めることは出来ません。飢え渇きがなければ、神様のみ言葉を求めることもないでしょう。

 求める者には与えられ、たたく者には開かれます。とイエス様が約束して下さったように、空の器を用意して神様に大胆に求めようではありませんか。神様は求める者に対してお答えくださるお方なのですから。

詩篇63篇1節

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