千葉バイブルバプテスト教会(千葉市中央区)|2010年10月メッセージ

10月分のメッセージ
「イエス様の奇跡」

「ここに少年が大麦のパンを5つと小さな魚を2匹持っています。しかし、こんなにおおぜいの人々では、それが何になりましょう。イエスは言われた。人々をすわらせなさい。その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。 その数はおよそ5000人であった。そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さな魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。」             ヨハネの福音書6章9~11節

  イエス様は弟子のピリポを試して、どこからパンを買ってきて多くの群衆に食べさせようか?と言われた。ピリポは、「200デナリのパンでは足りません。」と答えています。アンデレは少年の持っていた大麦のパン5つと魚2匹を差し出し、これが何になりましょう、と自らの見解を述べています。しかし、イエス様は、そのパンと魚を取って祈り弟子たちに配るように命じると、5000人の男性が食べて満腹し、なおパンくずを集めると12の籠に余ったとあります。

 1、「物質に目を留める人々」
 主の奇跡を味わい、満足した人々は、イエス様が肉体的な欠乏だけでなく、霊的必要を満たすお方であることを悟ことが出来ませんでした。多くの人々が求めている肉体的な必要をイエス様が与えた事によって、経済的、政治的メシヤとして来られた救い主と理解したのです。それ故、ガリラヤの群衆はイエス様をモーセのような預言者として受け入れた。と聖書は記します。

 2、「イエス様が遣わされた目的」
 イエス様は、生活に苦しむ人々や、病の中に置かれた人々の物質的な必要を満たすばかりでなく、人間の心の中にある罪の赦しのために、この世に遣わされ、多くの奇跡を通して人間の罪を示されたのです。イエス様は人間の罪を示すのみならず、赦すことのできるお方です。しかし、弟子や群衆は、パンの奇跡を経験したにも関わらず、イエス様の神性を認めることが出来ませんでした。彼らはパンを食べて満腹し、満足しただけだったのです。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したがらです。」26節、それゆえ、イエス様の語られたお言葉を神の言葉として理解できませんでした。

 3、「イエス様がくださるパン」
 パンの奇跡は、イエス様ご自身がいのちのパンであることを現わしています。つまり、イエス様が十字架で犠牲となって献げられるご自身のからだを指しています。「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。」51節、全ての人は、イエス様が下さるパンを食べなければ永遠のいのちを持つことは出来ないのです。言い換えると、イエス様の十字架を自らの事として信じることです。この給食の奇跡はそのことを象徴的に現わしています。「信じる者は永遠のいのちを持ちます。」42節、「わたしはいのちのパンです。」48節、とイエス様は私たちに今も語りかけています。

ヨハネの福音書6章9~11節

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