2月分のメッセージ
いのちを捨てて開いた道
イエス様は、神様のご計画を達成するために歩まれました。その最後が十字架での死です。
共観福音書では「息を引き取られた」と、ヨハネはその死を確実なものと表明するために「すでに死んでおられるのを認めたので、そのすねを折らなかった。」と記し「イエスのわき腹を槍で突き刺すと、血と水が出た。」と証言します。確かにイエス様はいのちを捨てて下さったのです。
福音書には、イエス様の死によって開かれた道が象徴的に語られています。その一つが神殿の幕が裂けた事実です。これは、イエス様の死によって天にあるまことの聖所への道が開かれたことを意味しています。この幕は至聖所と聖所を隔てている幕のことですから、その幕が真二つに裂けたのは、神様ご自身が隔ての壁である幕を引き裂いたという意味を持っています。ヘブル書10:19。
墓が開いて眠っていた多くの聖徒たちが生き返ったことは、イエス様の死によって天の聖所の交わりが開かれたと同時に、地下でも神様のみ業が現わされた事が現わされています。「その死によって、悪魔という死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」ヘブル2:14~15。
イエス様の死によってローマの百人隊長はじめイエス様の見張りをしていた人々は、目が開かれて十字架上で死んだイエス様は、神の子であることがわかったのです。それは、人間の力で理解できたのではなく、神様の導きと助けで目が開かれ、イエスを神様と受け入れたのです。
神様のみわざは信仰によらなければ理解出来ないことなのです。
マルコの福音書15章39節